友の失明
実家の犬、エイリが突然、失明した。
本当に突然のことだった。
父が犬小屋を見ると、そこにはしょんぼりと座っているエイリの姿があったという。
その前の日までは何ともなかったのに…
すぐに病院へ連れていくのだが、先生から 「緑内障による失明」と言われたらしい。
緑内障?犬も人間と同じようにいろんな病気をするとは聞くが、よりによって緑内障なんて…
眼科に勤めたことがある私は、緑内障=治らない=失明=絶望的というイメージがあった。
白内障ならまだ、処置の仕方があるのだが…
緑内障。眼圧があがり、頭痛や吐き気を伴う。目全体が大きくなり、頭が割れるように痛いという。
進行性の早いものだと、あっという間に失明にいたるという。
エイリはまだ3歳という若さなのに…おそらく先天性のものだと思われる。
眼圧を下げる薬をもらったが、食欲もなく、両親は途方にくれていた。
翌日、さっそく、実家に帰った。そこには、本当にしょんぼりとしたエイリの姿があった。
私が来ていることを察知したのか、一生懸命伸び上がって見ているのだが、見ている方向がまったく違う。
本当に失明しているのだ。それでも私がどこにいるのかと、今度は耳をすましている。
私はすぐにエイリを抱きしめた。涙があふれた。何故こんな運命なのか?
眼圧があがっているので、目の周辺をさわると痛がる。
おそらくこれがエイリとの最後の別れだと私は思った。失明した犬を両親が飼い続けるわけがないと思ったし、
体力がずいぶん落ちていたからだ。
これに関しては旦那からずいぶん、非難をうけた。「もしJOSHAが失明したら?」
当然、失明しても愛情を持って、接する。「同じ犬なのにかわいそうだ。」
言っていることはわかるのだが、それは誰にも責めることはできない。その犬がその人たちにとって
どんな位置づけにあるのか、価値観の問題なのだから。
ここで、安楽死に関して、訓練士の土生さんと話す機会があった。
たとえば、エイリが頭痛に苦しみ、手の施しようがないのであれば、安楽死も決断しなければならないだろう、と。
でもその時は、飼い主の腕の中で、最後を看取れるような手段がよい、と。
しかし、その事態になったとしても、両親がそうするわけがない。
私もその状態に置かれたとき、そちらを選択できるだろうか?
腕の中で眠りにつく愛犬を最期までみれるだろうか?
それができないからといって、誰にも非難できるものではないと思う。
しかし、両親のエイリに対する思いは私の予想よりもはるかに上回っていた。
失明したことに段々慣れてきたのか、元気になってきた。食事もとるようになった。
目は見えないものの、散歩には行きたがるまでに回復したという。頭痛もないようだ。
どうやら、両親は、このまま目が見えないという障害を持つことになったエイリを飼うことにしたらしい。
私も様子を見に行くことにした。びっくりするほど元気になっていた。
さっそく散歩に連れて行く。広場に行き、ロングリードに切りかえ、離した。元々飼い主を無視して遠くの方まで
行く犬ではなかったのだが、目が見えない分、喜んで走っては行くが、私の場所を確認している。
私は走らせては、呼び、走らせては、呼びを繰り返した。
すると声のする方に走ってきて、私に突進してぶつかる。そこで私は考えた。
私にぶつかる前に、お座りをさせることにした。そうしたら私にぶつからなくてすむ。
これは、本人にも理解できたらしく、数回で覚えた。
そして私はある事に気づく。そこには白いボックスがあった。段ボールくらいの大きさだ。
エイリはそれにはぶつからなかったのだが、その存在に気づき、吠えていた。
もしかしたら、少し見えているのでは?と思った。それとも、臭いとか、音の反射などできづくのであろうか?
しかし、目が見えないという事は、もしかしたら人間がそうなることよりも、犬の方が何ともないことなのかもしれない。
臭覚・聴覚が発達しているからだ。
そして帰り道、長い下りの階段にさしかかった。何気なく、選んだ散歩コースだったのだが、階段があることは忘れていた。
しかし、その階段も一緒に下りる。
私はその時、この階段も避けてはいけないのだ、と思った。
階段もそうだが、この子が目が見えないからといって、障害を避けてとおってはいけない、と思った。
今まで通り、目が見えないなりに、いろんな状況に慣れさせることが必要だと思った。
考えてみると犬の方が人間よりもタフにできているようだ。目が見えなくなることによって、人間みたく犬は落ち込まない。
見えないなりに生き続ける。当たり前の話だが、今回の事で、自分自身の生き方についても勇気づけられたような気がした。